2024.02.15
執筆者:八木 研(ジーネックス代表取締役)
ジーネックスは、消費者向けの全ゲノム検査(DTC全ゲノム検査、DTC= Direct-To-Consumer )を提供している国内でも数少ないスタートアップです。DTC遺伝子検査という名称であれば、どんな検査であるかピンとくる方もいるでしょう。では、DTC全ゲノム検査とDTC遺伝子検査は、何か違いがあるのでしょうか?
健康状態を評価する検査のうち、WEBで購入して自宅で検査したり、結果を見ることができるものがあります。こうした検査はDTC遺伝子検査と呼ばれています。DTC遺伝子検査は、一般的に病院で行うような臨床検査とは区別され、医療行為の診断をするためのものではありません。
DTC遺伝子検査のパイオニアである23andMe社があるアメリカ合衆国では、疾患リスクを知ったり、祖先のルーツや親戚を見つけ出すことに関心をもった2,000万人以上がすでにDTC遺伝子検査を受けていると言われています。一方、日本では、健康維持や生活習慣病の予防のために疾患リスクを知りたいというニーズから、DTC遺伝子検査を受けているケースが多いようです。DTC遺伝子検査を提供している複数の事業会社によって、消費者が技術的側面や倫理的・法的・社会的側面から健全・適正な遺伝子検査サービスを選択できるようになることを推進してはいるものの、多くの消費者にとって、病院で受ける遺伝子検査と区別するのは簡単ではないようです。
研究や診療における遺伝情報に関する市民意識調査(※1)では、アルツハイマー型認知症等の予防や治療の難しい病気へのかかりやすさについて、「知りたい」「どちらかといえば知りたい」の割合が最も高かったように、市民はある特定の病気に関して、かかりやすいかどうかを知りたがっている結果が得られています。
(※1)2017年度 研究や診療における遺伝情報に関する市民意識調査
わたしは、2015年にDTC遺伝子検査を受けました(図1)。
図1 D社のDTC遺伝子検査の結果の一部(2024年1月当時の結果)
研究者としてヒトゲノム研究に携わっていたので、3万円程度(2015年当時)の価格で世界中のゲノム研究の成果の恩恵を受けられるDTC遺伝子検査はとても魅力的に見えました。当時は、健康維持や疾患リスクを知りたかった訳ではなく、自分自身の遺伝情報を自分の眼で見たかったのです。どういった根拠で、検査結果が表示されているのかという点にも関心がありました。
その後、2020年に全ゲノム検査を受けました(図2)。
図2 ジーネックス社の全ゲノム検査の結果の一部(2023年7月当時の結果)
自社製品を試してみたかったことはもちろんですが、この検査を通じてどのような顧客体験を得られるのかを知る必要がありました。また、全ゲノム検査によって、疾患に関係する遺伝子の病的変異が見つかることは少なくなく(80%以上)、自分にも起こり得ることを覚悟する必要がありました。
興味深いことに、DTC遺伝子検査と全ゲノム検査の結果で、同じ疾患を目にすることになりました。
私の検査結果の一部を表に示しました。
どちらも前立腺がんについて記載されています。私の場合、どちらの検査においても前立腺がんのリスクが示されており、もっと良く知るために詳しい結果の説明を読み進めていきました。
D社のDTC遺伝子検査では、日本人平均より2.44倍も高いということを示しています。前立腺がん以外にも1倍以上(平均以上)のリスクがあるがんはありましたが、2倍を越えていたのは前立腺がんのみでした。この検査においてリスクの判断の根拠としているのは、D社が選んだ5つの論文(2009年から2014年に発表されたもの)で示されている遺伝型です。前立腺がんは、rs10187424を含む19か所のSNP(一塩基多型)の情報を用いて、リスクを評価しています。19か所のSNPは、第2番染色体のほか、第3~6番、第8番、第11番に散在していました。
一方、ジーネックスの全ゲノム検査では、染色体の第2番に位置するEHBP1という遺伝子に変異があることが示され、参照しているデータベース(ClinVarなど)によると、この変異はpathogenic(病的)であることが示されています。EHBP1における変異と関連する疾患・症状の遺伝形式は「情報なし」と記されていますが、遺伝形式に関する情報があった場合は、常染⾊体潜性(劣性)遺伝あるいは常染⾊体顕性(優性)遺伝と表記されます。
2社の検査間で、なぜこのような差が生まれたのか。
D社などのDTC遺伝子検査では、個人の体質に関わる遺伝子型を確認する検査サービスであり、単一遺伝性疾患や遺伝性がん等に関するサービスを提供していないことが理由の一つです。ジーネックスの全ゲノム検査は、診断を治療を目的とした医療行為ではないことを明確に消費者に伝えています。その上で、単一遺伝性疾患や遺伝性がん等に関わる変異も報告しています。
つまり、一般的なDTC遺伝子検査とジーネックスの全ゲノム検査は、同じDTCではあるものの、検査の設計や性質が異なるのです。
D社の検査結果を見た当時は、自分自身の味覚や嗅覚、長生きなどの体質に関する遺伝的傾向や祖先のルーツなど、とても興味深く感じました。音感や数学の向き不向きなどの追加項目の結果が得られたのも面白く感じました。一方で、既出の前立腺がん(日本人平均の2.44倍)、食道がん(同1.41倍)や肺がん(同1.33倍)の解釈には困惑しました。いずれのがんも生活習慣の影響を受けやすいがんということもあって、この結果をどう受け止めるかは、疾患やこの検査の理解度によって、一様ではないはずです。
一方で、ジーネックスの全ゲノム検査の結果を見ると、世界中のトップレベルの研究者がレビューしているClinVarなどのデータベースを根拠として、前立腺がんと関連するEHBP1遺伝子に病的な変異があることがわかります。その後、前立腺がんにおける初期症状を調べたり、予防に対する意識は変わりました。同じ遺伝子の変異を持つかもしれない血縁者にどう伝えるか、もしくは伝えるべきでないかを考えました。幸い私が持っていたEHBP1の病的変異は、日本人における頻度が約4.61%とさほど珍しいものではなく、この変異を持っていても健康な人が多いこと、すなわち疾患・症状の主原因とは考えにくいことを示唆していることが説明されており、健康上の大きな問題ではないだろうと捉えることができました。ただ、ゲノム研究は日進月歩の速度で新しい事実が明らかにされています。研究が進展することによって、私が持っていたEHBP1の病的変異の解釈が変わることもあります。また、私自身に今回は示されていなかった遺伝性疾患の変異が見つかることもあるかもしれません。一度、自分自身の全ゲノム配列を取得していれば、一生かわらないものとして、生涯に渡って利用することができます。
各社が提供している複数のDTC遺伝子検査を受けてみると、提供する企業によって検査結果が異なることがよく知られています。各社が検査結果の根拠としている研究論文がそれぞれ異なることが理由です。それぞれの研究論文は、貴重な研究成果ではありますが、検査によって見つかったゲノム配列上の変異が疾患の原因として寄与している割合(疾患寄与率)は決して高くないことは専門家にとって周知の事実です。
DTC遺伝子検査を購入した消費者の中には、家族が患っている病気に将来的に罹るかどうかを知るために検査を受けた方もいることでしょう。そういった方にとっては、DTC遺伝子検査が期待していたものではなかったと思うか、もしくは、家族が患っている病気が自分に遺伝しないと思って安堵しているかもしれません。
私はDTC遺伝子検査がでたらめであるとか、無駄であるとは一切思っていません。検査を受けた消費者にとっては、生活習慣病を予防するきっかけになるでしょう。日本国内で、ゲノム研究の成果を消費者に還元することに尽力してくださった各DTC遺伝子検査会社には心から敬意を表します。
DTC遺伝子検査が登場した2010年代始めのころから、ゲノム技術は驚異的に進歩しました。がんゲノムを中心として、医療として提供できるゲノム検査も増えつつあります。そして、今や個人が自分自身の全ゲノム配列を取得できる価格になりつつあります。
ELSI(Ethical, Legal and Social Issues)、すなわち倫理的・法的・社会的課題に取り組む研究者や、ゲノムを臨床に応用する必要性を説く医師等の医療従事者、そしてゲノム医療推進法に代表される法整備やガイドライン策定も進みました。何よりも遺伝性疾患に苦しむ患者さんとその御家族が勇気を持って声をあげてくださることで、ゲノムが社会に浸透しようとしています。
DTC全ゲノム検査のあり方は今後もっと議論が活発化するかもしれません。国家レベルで主導していくべきという声も聞こえますが、国民が全ゲノム検査の恩恵を受けるためには、多くの課題が残されています。事業会社だからこそできることがあります。そうは言っても、何をしてもよいはずはありません。
ジーネックスは、「個人が自らのデータを持ち、考え、行動する」といった未来を描き、これをビジョンとしています。個人が所有できるデータの一つである全ゲノム配列を使ったサービスを提供し、お客様の一人一人が、どう生きていきたいか、家族やパートナーとどのように過ごしていきたいかを考える良い機会を提供していきます。